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〈HEROES 逆境を勝ち越えた英雄たち〉第22回 ガリレオ・ガリレイ

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〈HEROES 逆境を勝ち越えた英雄たち〉
第22回 ガリレオ・ガリレイ

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〈HEROES 逆境を勝ち越えた英雄たち〉第22回 ガリレオ・ガリレイ

2022/08/12

〈HEROES 逆境を勝ち越えた英雄たち〉第22回 ガリレオ・ガリレイ

ただ座って考えていても進歩はない。
他人の報告を信じるだけではなく
自分の眼で確かめることが大事だ。

 

夏の楽しみの一つといえば、天体観測だろう。

暑い一日を終えた後、夜風に吹かれながら星空を見上げると、心も果てしなく広がっていく。
8月12日は満月。

さらに、天候が良ければ、翌13日にかけて「ペルセウス座流星群」が見られるかもしれない。

 

1994年5月25日、池田大作先生ご夫妻は、平和旅の合間を縫ってガリレオの故郷にある「ピサの斜塔」へ。
ガリレオが、それまでの固定観念を覆し、重い物も軽い物も同じ速度で落ちる「落体の法則」を証明したとされる歴史的な塔は、世界遺産にも登録されている

その天体観測を、はるか400年以上も前に望遠鏡を使って始めた人物がいる。 

「近代科学の父」と仰がれる、イタリアのガリレオ・ガリレイである。


「ただすわって考えているだけでは、科学の進歩はありえない」

「どうして君は他人の報告を信じるばかりで自分の眼で観察したり見たりしなかったのですか」――彼が残した言葉は、その人生が行動と探究に貫かれていたことを物語っている。
 

ガリレオは1564年、同国北部のピサに生まれる。

父の方針で幼い頃から家庭教師に教育を受けた

経済的事情により修道院学校に通った時期もあったが、多彩な才能を磨き、17歳でピサ大学に入学。

そこで宮廷数学者リッチの講義に魅了され、数学の道を志すようになる。
 

後に大学は中退するものの、働きながら研究を継続。その成果が認められ、25歳でピサ大学の数学教授に就任した。
ガリレオは講義の傍ら、自らの研究を進め、物体の運動と落下に関する本を執筆する。

その際、「ピサの斜塔」で行ったとされる実験で、重い鉄球と軽い鉄球が同時に落ちることを確かめ、落下の速さは重さと無関係であるとの結論を示す。


当時のヨーロッパの科学は、2000年前から続く古代ギリシャの思想に支配されていた

しかし彼は、論理の応用だけで結論を導き出すという常識にとらわれず、実験と検証を重ねることで真実に迫り、近代科学の扉を開いていったのである。

 

 

〈ガリレオを語る池田先生〉

歴史上、偉大な人物はみな、
勇気をもって行動している。
何があってもくじけずに、
努力を続けた人が最後に勝つ。
「挑戦の人」「信念の人」たれ!

 

〈ガリレオ・ガリレイ〉

これから発見できることはまだ
山ほどある。新しい世代の人間にも
やることはいくらでも出てくる。

1604年、夜空に突如、超新星が現れ、科学の世界に衝撃が走った。

「宇宙は安定した不変のものである」との学説が揺らぐことになったからだ。
この5年後、望遠鏡がオランダで発明されたことを聞いたガリレオは、その構造の説明をもとに自ら製作に着手。

やがて約30倍の高倍率へと改良し、天体観測を開始する。
そして、月の表面のクレーターをはじめ、木星の衛星や金星の満ち欠けなどを発見。

それまで定説とされていた、太陽や星が地球の周りを回る「天動説」は誤りであり、太陽の周りを地球が回る「地動説」が正しいことを確信したのである。
 

ガリレオの偉業は多くの大衆から支持されたが、先駆者の宿命ともいうべき迫害の嵐が彼を襲う。

嫉妬に狂った人々が、地動説は聖書の教えに反するという言いがかりをつけ、ガリレオを異端審問所に告発。

地動説を捨てるよう命じられたのだ。
 

だがその2年後、空に三つの彗星が現れ、再び天動説と地動説を巡る論争が巻き起こる。

彼は言論の力で地動説を証明することを決意。

「われわれはもはや、暗黒も、真っ向から吹つけてくる嵐をも、恐れる必要はありません」――大病を抱えながら、約6年かけて大著『天文対話』を書き上げたのである。


発刊後、ガリレオは宗教裁判にかけられる。

判決は終身刑。

翌年には彼を支え続けてきた最愛の娘が病で急死してしまう。
 

相次ぐ苦難は彼を絶望の闇に突き落とした。

しかし、失意の底にいながらもガリレオは絶対にくじけなかった。

その原動力となったのは、真実への飽くなき探究心であり、不正への激しい憤怒であった。
「もう沢山のことが発見されたが、これから発見できることはまだ山ほどある。だから新しい世代の人間にもやることはいくらでも出てくる」

「無知とは、もろもろの悪意、嫉妬、瞋恚の母であり、他のすべての悪の中で、最も卑劣で醜い罪悪である」
 

厳しい監視にも耐え、ガリレオは命が燃え尽きるまで真理を追い求めた。

亡くなったのは42年1月、77歳の時。

遺骸は礼拝堂から離れた場所に葬られる。
 

ガリレオには愛弟子のヴィヴィアーニがいた。

死後も続く冷遇に怒った弟子は、師匠の伝記を刊行し、全集を編さん。

礼拝堂への改葬と記念碑の設置を願い、生涯を閉じた。
この弟子の悲願が成就したのは、約30年後のことである。
今年はガリレオの没後380年の節目に当たる。


 

1994年5月、イタリアを訪問した池田先生は「ピサの斜塔」へ。

見学するのは81年5月、同志と共に訪れて以来、2度目であった。
この2年前の92年、当時のローマ教皇がガリレオの裁判は誤りであったことを認め、謝罪を表明。先生は8階建て、高さ約55メートルの斜塔を見つめつつ、逝去から350年後の名誉回復という勝利劇に思いをはせた。
さらに、ガリレオの望遠鏡による天体観測から400年に当たる2009年。

国連等が「世界天文年」と定めたこの年、先生は折あるごとに、次代を担う未来部の友へガリレオの人生を通してエールを送っている。
「彼はつねに実験を重んじる『行動の人』でした。何度失敗しても、ねばり強くチャレンジし続ける『挑戦の人』でした。

そして、どこまでも真実を叫び抜く『信念の人』だったのです。

歴史上、偉大な人物はみな、勇気をもって行動しています。何があってもくじけずに、努力を続けた人が、最後は必ず勝利するのです」(「小学生文化新聞」〈当時〉09年1月号の新春メッセージ)
 

「良き弟子を持ったゆえに、ガリレオは幸福でした。

勝利しました。

私も、永遠の師匠である戸田先生、牧口先生を、全世界に宣揚し抜いてきました。

そして私には、未来部がいます。絶対に信頼できる君たちがいます。(中略)
どんなに迫害されようとも、広宣流布という、この世で最も尊い『正義』の旗は、必ずや後継の君たちが受け継いでくれる。そして、未来永遠に師弟勝利の歴史を打ち立ててくれる。だから、私は幸せであります」

(同年5月5日「創価学会後継者の日」記念の未来部総会へのメッセージ)


さあ、心を宇宙大に広げ、努力と挑戦の日々を!

創価の夏は後継の友と共に成長する躍進の夏である。

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