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〈危機の時代を生きる〉 インタビュー 作家 佐藤優氏 ㊤

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〈危機の時代を生きる〉 
インタビュー 作家 佐藤優氏 ㊤  

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〈危機の時代を生きる〉 インタビュー 作家 佐藤優氏 ㊤

2022/06/11

心のありようが問われる今こそ

池田・トインビー対談に学びたい

 作家の佐藤優氏は、池田大作先生とイギリスの歴史学者トインビー博士の対談集『21世紀への対話』を、危機の時代に読むべき一書であると述べている。今、平和や生命の尊厳性を揺るがす危機を前に、私たちは、どのように問題に向き合い、解決への方途を探っていけばよいのか。佐藤氏に聞いた。
(聞き手=萩本秀樹、村上進。)

民衆の視点から

 ――新型コロナのパンデミック(世界的大流行)や気候変動、ウクライナ情勢など、今、私たちが向き合う危機は、複雑かつ多面的です。これらの危機と向き合う上で、見失ってはならない点は何でしょうか。
  
 端的に言えば、現在の危機の本質として「心の危機」があると思います。
 例えば、ウクライナ危機が始まってから、コロナ禍に対する関心は低くなっていないでしょうか。感染状況が劇的に変化したり、危険性が減少したりしているわけではないのに、皮膚感覚として関心が低くなっている。インターネット空間における「コロナ」「肺炎」といった言葉は減っているでしょうし、新聞やテレビでもコロナに割かれる時間は少なくなりました。それは、心のありようが、コロナ禍からウクライナ危機に対するものへと変化しているからです。
 
 ウクライナ危機を巡る、事実と虚偽が入り交じったようなメディアの情報に常にさらされる中で、多くの人々がある種の熱気に包まれ、戦争を助長してしまうような風潮が、しばしば見受けられます。なぜ、こうした風潮が出てくるかというと、これも心が揺れ動いているからですね。
 
 こうした中で創価学会は、小説『人間革命』の「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」という立場を貫いています。特に危機が始まった直後の3月1日、青年部が声明を発表し、「戦闘によって多くの人々の生命と尊厳と生活が脅かされる事態は悲惨であり、私たち創価学会青年部は即時停戦を求める」「どこまでも対話による外交によって平和回復への道を探る努力を続けるべきである」と世界に向けて発信したことの意義は極めて大きいと言えましょう。
 
 創価学会は、平和を希求する宗教団体として、ウクライナの問題に沈黙することはできない。と同時に、当事者の国々のどちらが良いとか悪いといった二分法をとらず、そこにいる民衆の立場から即時停戦を求めている。ウクライナの国民が直面している被害の大きさに胸を痛めるとともに、ロシアの多くの市民を取り巻く状況にも目を向ける、学会だからこその判断であったと評価します。
 
 ぶれずに平和の旗を掲げることと、常に民衆の視点から考えること。これらは創価学会員の心の強さを表しています。心の場所は座標軸には示せないですが、しかし確実に存在する。この心の問題を深く考察してきたのが、仏教の強さですね。聖教新聞の「危機の時代を生きる」の連載にしても、「心の危機」に焦点が当たっている。ですから学会員の方々は、危機の本質は心にあることを見抜いているのだと思います。

 

国家主義の克服

 ――先月は、池田先生とトインビー博士が初めて対話を行ってから50周年の節目でした。佐藤さんが対談集を読み解いた『地球時代の哲学』(潮出版社)では、現代の危機の時代を乗り越えるための処方箋が、池田・トインビー対談にあることを示されています。
  
 対談が行われた50年前もまた、人類の破滅をもたらす核戦争や環境問題等をどうしたら克服することができるか、そうした危機に直面した時代でした。対談集のタイトルは『21世紀への対話』、英語版は『Choose Life』――すなわち「命を選ぶ」ということですね。戦争ではなく、生命を選択しなくてはならない。これが二人に共通の思いであったということです。
 
 生命を語るとき、人間の生命だけではなく、動物、植物を含めた地球生態系を考えることが重要です。そのあらゆる生命を、戦争は奪う。近年、SDGs(持続可能な開発目標)関連の気候変動対策で脱炭素の推進をうたっていますが、そもそも戦争ほど炭素をばらまく行為はないわけです。昨今、大きな波で広がってきた環境運動においても、戦争と環境を巡るまなざしをもつことが欠かせないと、強く感じてなりません。

 その中で、現実にどう平和を実現していくのか。難題ですが、答えのない課題ではありません。池田SGI(創価学会インタナショナル)会長の著作や指導の中に、危機を克服するために重要なことが書かれています。例えば、人間と人間、人間と自然の共生について考える上では、ウクライナ国立キエフ工科大学元総長の、ズグロフスキー博士との対談集『平和の朝へ 教育の大光』(第三文明社)が参考になります。
 
 そして、池田・トインビー対談も、私たちがナショナリズム(国家主義)をいかに克服するかを学ぶために、今、改めてしっかりと学ぶべき一書です。今、ウクライナ危機を前に、ナショナリズムが急激に息を吹き返している。池田会長は対談で、自らの基準を他者に押し付けるような、排外主義的ナショナリズムを退けています。
 
 池田会長がナショナリズムに警鐘を鳴らすのは、創価学会が、神道とナショナリズムが結び付いた国家神道によって、弾圧された歴史があるからです。
 牧口初代会長、戸田第2代会長は、戦時中、政府による国家神道の強制に抵抗し、宗教弾圧にも屈しなかった。自らの信念を貫いたがゆえに投獄され、牧口会長は殉教し、戸田会長は獄中で法華経を身読し、「仏とは生命なり」「われ地涌の菩薩なり」という真理を覚知したわけです。
 こうした歴史の鋳型があるゆえに、創価学会には、排外主義的なナショナリズムの悪を浄化し、平和を創り出す力があるのです。
 
 重要なのは、牧口会長と戸田会長が、単に反軍国主義や反戦運動の旗を掲げていたわけではないということです。国民が間違えた道に進んでいるとき、自分だけが正しい道を歩んでも、社会から遊離し、孤立してしまえば使命は果たせない。それは本当の意味で、民衆のためにはならない。
 誤った道を行く人々を見放してしまうのではなく、歩みの向き、角度を5度でもいいから変えることができないか。その努力と変革を36回繰り返せば、合わせて180度になる。人々が時流に押し流されず、反対方向に踏み出す道が開かれるはずだ――。牧口会長、戸田会長は、こうした方向転換を目指していったのだと
思います。

イギリス・ロンドンにあるトインビー博士の自宅で、池田先生と博士が対談(1973年5月)。
対談は前年5月にも行われ、合わせて40時間に及んだ。
語らいは対談集『21世紀への対話』として75年に発刊。
これまで31言語で出版され、世界中で反響を広げている

宗教的対話の書

 ――国家神道を巡っては、池田先生とトインビー博士が互いの考察を述べる場面が印象的です。
  
 当初、私はこの対談を「東西の偉大な知識人の対談」と捉えていました。しかし、それは誤読でした。これは「仏法の信念に基づいた、人類の未来を何としても開こうとする“真摯な対話の書”」、ある箇所では「宗教的対話の書」ともなっていることに気付いたんです。
 
 対談の中の、国家神道を巡るやりとりにも、それが表れています。トインビー博士は、国家神道の問題は「元来自然の諸々の力の象徴とされていた神々が、今度は人間の諸制度の象徴としてかつぎ出され」たという、どの自然宗教にも当てはまる普遍的な事象として理解しています。それに対し、池田会長は、真の問題の所在は別のところにあるのではないかとして、こう主張します。
 「神道にはきわめてナショナリスティックな一面があるわけです。そして、この神道イデオロギーの端的なあらわれが、いわゆる神国思想なるものでした。この神国思想は、周知のように、きわめて独善的なものです。こうしてみると、神道の場合、自然に対する融和性はその一面にすぎず、その裏面に、他民族に対する閉鎖性や排他性をもっているわけです」
 
 戦時下の日本の例からも、宗教がナショナリズムと結び付いてしまえば、取り返しのつかない全体主義が生まれます。その危険性は、現在の世界においても、さまざまな宗教が真剣に向き合わなければならない課題です。
 また対談で、池田会長とトインビー博士は、「生命の尊厳」についても掘り下げ、議論します。
 
 〈池田〉「生命の尊厳に至上の価値をおくことを、普遍的な価値基準としなければならないと考えます。つまり、生命は尊厳なものであり、それ以上の価値はありえないという考え方です。宗教的にも、社会的にも、それ以上の価値を他に設定することは、結局、人間性への圧迫をもたらすことになるでしょう」
 〈トインビー〉「おっしゃる通り、生命の尊厳こそ普遍的、かつ絶対的な基準です。ただし、この場合、“生命”という言葉を、宇宙の万物から分離した、あるいは半ば分離した、われわれ人間をその一種とする“生物の生命”というものに限定してはなりません。宇宙全体が、そしてそのなかの万物が、尊厳性を有するという意味で生命的な存在なのです」
 
 このやりとりから浮かび上がってくるように、「生命の尊厳」という創価学会の普遍的な思想が、トインビー博士の根底にある宗教観、生命観と相通じていったと見ることができるのではないでしょうか。

 

楽観主義を失わず

 ――対談で、池田先生は生命を尊厳なものであると認識するだけでなく、私たち一人一人の中に潜むナショナリズムを克服し、生命を「尊厳ならしめる」努力が必要であることを強調しています。
  
 その通りです。だからこそ、現在、ウクライナで広がっている戦火を一日も早く終結させなければなりません。にもかかわらず、核戦争の可能性を軽々に口にするような人間がいます。それは非常に危険だと思います。口にすると、人間はいつしか慣れてしまうからです。
 その点、創価学会にはぶれがない。核兵器は「絶対悪」であり、使用したものは“死刑に値する”との厳しい表現を持って、核の使用を何としても食い止めようとした戸田会長の遺訓を継承しているからです。これは学会員にとって、揺るがすことのできない大前提の思想だと思います。
 
 私たちの限られた知恵では、絶対的な真理は理由を説明できません。なぜ戦争は許されないのか。なぜ核兵器は許されないのか。「許されないから」としか言えないのです。生命の根源に関する事柄においては、理屈や科学では説明しきれないものがあると私は思います。
 それを戸田会長は、ギリギリまで詰めて言葉にし、池田会長がそれを継承するのみならず、世界の指導者との対話を通して、現実の上で発展させていった。そして、池田会長の思想と行動を自らの指針・模範とした全世界の学会員によって、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などの良識ある人々と力を合わせて「核兵器禁止条約」を成立させたような、今日までの平和運動の流れが築かれたのです。
 
 ともあれ、どんな状況であったとしても、心は変えられる。人間は変わる可能性があるということです。政治家であろうが、指導者であろうが、誰もが生命の奥底に仏性を具えていると、日蓮仏法では説きます。外目には悪人のように映る人にも、仏性はある。だから対話を諦めてはいけないのです。
 この強固な信仰に裏打ちされ、実践に根差した楽観主義を、創価学会の皆さんは持っているはずです。それを失わないことです。

佐藤優氏の著作の一部

「生命の尊厳」という普遍的価値を
世界中に広げる創価学会の挑戦

 ――21世紀になっていまだに続く悲惨な紛争を前に、私たち自身は何を心掛けるべきでしょうか。
  
 知らないうちに世界を分断してしまうような思考や発言には、自己抑制を働かせることが重要です。
 では、私たちは何の側に立つのか。「平和の側」に立つことです。人間の命が懸かっている問題なのだから、一日も早い停戦を願う――それが「平和の側に立つ」ということです。助けられる命を助ける競争を、国も団体もすべきです。
 かつて戦争で死闘を繰り返した国同士が、今、信頼関係で結ばれているように、指導者や国民の心のありようは、必ず変わる。
 
 目の前に分厚い壁があるとき、社会革命家は「壁を壊そう」という発想になる。しかし人間革命を目指す人は、「壁の向こうに友人がいる」と思えるんですね。多くの人が壁を壊そうと考える中で、壁の向こうにいるのも自分と同じ人間であり、人間は必ず変われるという確信が、学会員の方々の根っこにあります。池田会長も、ソ連や中国に友人として行き、対話の力で民間外交を繰り広げていきました。その行動に、今こそ学ぶべきです。
 
 移ろいやすい人の心に、「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」という変わらない価値観、心のありようをつくり出していく。これが創価学会の挑戦だと思います。学会員に限らず、世界宗教を信じる人の中には、その挑戦に呼応する人たちはたくさんいることを知ってください。
 
 創価学会が一貫して唱えてきた、地球民族主義や平和の文化といった理念は、今、時代の熱気の中で、一見すると少数派に思えるかもしれません。しかし実際は、平和を望む人たちのほうが多数派なのです。民族や国境を超え、手を握り合っていきたいと願う人たちが、世界中にいることを私は信じて疑いません。

 

 さとう・まさる 1960年東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、専門職員として外務省に入省。在イギリス大使館勤務、在ロシア大使館勤務を経て、外務省国際情報局で主任分析官として活躍。『国家の罠』(毎日出版文化賞特別賞)、『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞)、『十五の夏』(梅棹忠夫・山と探検文学賞)、『地球時代の哲学 池田・トインビー対談を読み解く』『池田大作研究 世界宗教への道を追う』『21世紀の宗教革命Ⅱ――小説「新・人間革命」を読む』など著書多数。新刊に『プーチンの野望』(潮出版社)。

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