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〈HEROES 逆境を勝ち越えた英雄たち〉 レオナルド・ダ・ヴィンチ

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〈HEROES 逆境を勝ち越えた英雄たち〉
 レオナルド・ダ・ヴィンチ

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〈HEROES 逆境を勝ち越えた英雄たち〉 レオナルド・ダ・ヴィンチ

2022/04/05

創価大学本部棟ロビーに立つレオナルド・ダ・ヴィンチ像を見つめる池田大作先生(1999年11月3日)

同年9月の本部棟落成祝賀会で、創大から社会貢献の逸材が陸続と巣立ちゆくことを期待した

苦労せざるものは幸運に値せず。
何事もまずやってみよう!
経験してから先へ進むのだ。

創価大学の本部棟ロビーに立つ「レオナルド・ダ・ヴィンチ像」。

台座を含む高さ4・8メートルの堂々たる威容は「ルネサンスの巨人」をたたえるのにふさわしい。

画家、科学者、音楽家、舞台演出家、軍事顧問……。

一人の人間とは思えぬほど、多彩な分野で秀でた才能を発揮したレオナルド・ダ・ヴィンチ。

「モナ・リザ」や「最後の晩餐」などの不朽の名作を生んだことで知られるが、現存する作品は少なく、そのほとんどが未完成だ。

今月で生誕570年を迎える彼の生涯は、今なお多くの謎に包まれている。

人呼んで「万能の天才」。

だが決して恵まれた環境にいたわけではない。

1452年4月、イタリアのフィレンツェ近郊のヴィンチ村に生まれたダ・ヴィンチは、家督を継ぐ資格がなく、正式な学校教育を受けることができなかった。

複雑な計算やラテン語は苦手で、自身を「無学の人」と言うこともあった。

内に秘めた無限の可能性を引き出したもの――それは、飽くなき探究心と向学心にほかならない。
彼は自らを「経験の弟子」と称し、ノートに「私の専門分野に必要なのは他者の言葉ではなく経験である」「私はまず実験をしてから先へ進む」等と記した。

14歳のころ、フィレンツェの指導的芸術家ヴェロッキオに弟子入りし、卓越した才能が開花する。
当時の代表的な作品が、師匠に協力して制作した「キリストの洗礼」。ダ・ヴィンチは精巧な天使を描き、ヴェロッキオを驚愕させる。同時期に単独で手掛けた「受胎告知」は、天使の羽を、実際の鳥の羽を思わせるほど忠実に表現した。
さらには、師匠から絵画技術のみならず、鋳造、数学、工学など多くのことを学び、後の成功の基礎を築いていった。
「苦労せざるものは幸運に値せず」「ありとあらゆる仕事もわたしを疲らせようとはしない」――ダ・ヴィンチの生き方は「万能の天才」が「努力の天才」だったことを物語っている。

 

〈レオナルド・ダ・ヴィンチを語る池田先生〉
生きている限り、
使命の行動を「続ける」。
この決心が人生の天才をつくる。
正義も幸福も「続ける」という
一言の中に凝縮している。

〈レオナルド・ダ・ヴィンチ〉
障害は私を屈せしめない。
あらゆる障害は
奮励努力によって打破される。

1994年6月、池田先生は“世界最古の総合大学”とされるイタリア・ボローニャ大学で
「レオナルドの眼と人類の議会――国連の未来についての考察」と題して講演。
ダ・ヴィンチの精神を継承し、仏法者として人類史の新たな夜明けへ努力していく決意を語った

師ヴェロッキオから独立し、30歳になったダ・ヴィンチは、活動の舞台をフィレンツェからミラノに移す。
この地で過ごしたのは17年。

画家として「最後の晩餐」等の制作に取り組みながら、ミラノ公の結婚を祝う舞台演出や、教会建築など、多方面で活躍を見せ、宮廷から高く評価された。

「黒死病」として恐れられたペストが大流行した際には、都市構造の改革を構想している。
ミラノ時代は自身の研究に一段と打ち込んだ期間でもあった。
その分野は解剖学をはじめ、工学、物理学、水力学など多岐にわたる。
彼の思考をたどる上で手掛かりとなる手稿は、現存するもので7200枚以上あるとされる。それらは「人間の観察力と想像力のすさまじさを見せつける比類なき記録」と評され、内容は研究分野の考察から計算式や寓話、絵画のデッサン、人体のスケッチまで万般に及ぶ。

人生論ともいうべきダ・ヴィンチの手記には――
 「鉄が使用せずして錆び、水がくさりまたは寒中に凍るように、才能も用いずしてはそこなわれる」
 「障害は私を屈せしめない。あらゆる障害は奮励努力によって打破される」
等――とある。

現状に甘んじず、経験と実践を重んじる彼の信念は、晩年になっても変わらなかった。

1499年、フランス軍の侵攻によりミラノを去ることになったダ・ヴィンチは、各地を転々とする。

その中でフィレンツェ政府から依頼を受け、政庁舎の大広間を飾る壁画「アンギアーリの戦い」に着手。

「モナ・リザ」もこの頃に制作を開始したと考えられている。

また、運河の工事や解剖学の共同研究を行うなど、挑戦と探究の姿勢は衰えることはなかった。
 

ダ・ヴィンチが生きたイタリアのルネサンス期は、政治的には未曽有の混乱期にあった。

それでも彼は、67歳で人生の幕を閉じるまで、自らが決めた使命の道を真っすぐに歩み抜いた。

「星の定まれるものは左顧右眄しない」と。
「可愛想に、レオナルドよ、なぜおまえはこんなに苦心するのか」とは、ノートに残された魂の叫びである。

彼の仕事のほとんどは未完成に終わった。

だが、この言葉こそ、前進を止めなかったダ・ヴィンチの「創造的人生」を象徴していると言えよう。

かつて池田先生は語ったことがある。

万般の学問に価値創造の探究を広げていったダ・ヴィンチの姿は、恩師・戸田城聖先生と二重写しになる、と。
そして、ダ・ヴィンチの生涯や言葉、作品を通し、世界に平和・文化・教育の光を広げてきた。

 

1994年6月には、イタリア・ボローニャ大学で「レオナルドの眼と人類の議会――国連の未来についての考察」と題して講演。

仏法の知見から、人間革命の哲学に通じる「自己を統御する意志」と、月々日々に新たなる完成を目指す「間断なき飛翔」こそ、彼から学び、継承していくべき精神遺産であると述べた。
 

99年11月、創価大学の本部棟ロビーにダ・ヴィンチの立像が設置された。

先生は除幕式直後の集いで、ダ・ヴィンチ像の研ぎ澄まされた眼に言及。

青年たちに「森羅万象を見通しゆく『探究の眼』」「生き生きと輝きわたる『創造の眼』」「何ものにも臆さぬ『信念の眼』」「遠大な未来を展望しゆく『哲学の眼』」をもってもらいたいと訴えている。
 

さらに、先生自身が創立した東京富士美術館の海外文化交流特別展として、2015年に「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」が実現。同展はその後、京都、愛知、福岡などでも開催された。
 

ダ・ヴィンチの箴言を紹介した創価の同志への指導も数多い。
 
「彼は死を目前にして、なお『私は続ける』と書いている。
 最後まで『努力』、どこまでも『挑戦』、限りなき計画と実行の『持続』『連続』――この、たゆまぬ前進が、『天才』の実質であった。
 生きている限り、私は『戦う』。使命の行動を、私は『続ける』。この決心が、人生の天才、幸福の天才をつくっていく。
 正義、健康、勝利、幸福、和楽、栄光――すべて、この『私は続ける』という一言の中に凝縮している」
(1992年6月28日、イタリア芸術音楽祭でのスピーチ)
 

「『困難なにものぞ。努力の前には如何なる困難もなし』
 わが愛する『創価ルネサンス』の旗手たちよ、どんな困難も恐れるな! 我らには『勇猛精進』の努力がある。最強無敵の『法華経の兵法』がある」
(本紙2012年12月7日付「随筆 我らの勝利の大道」)
 

2008年12月、後継の友に贈った長編詩で先生は詠んだ。
 
 若き私の心に響いた
 レオナルドの言葉――
 それは
 
「新しいものを
  新たに

  自分で創ろう」
であった。

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