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〈危機の時代を生きる〉 インタビュー㊤ 東京大学名誉教授 村上陽一郎さん

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〈危機の時代を生きる〉 インタビュー㊤ 
東京大学名誉教授 村上陽一郎さん

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〈危機の時代を生きる〉 インタビュー㊤ 東京大学名誉教授 村上陽一郎さん

2022/02/07

〈危機の時代を生きる〉 インタビュー㊤ 東京大学名誉教授 村上陽一郎さん

 

事実を冷静に見つめる姿勢と常識で科学の発展と向き合う

 

短期間でのワクチン開発に象徴されるように、コロナ禍以降、科学技術の動向が世界で注目を浴びるようになった。

危機の時代を生きる上で、「科学といかに向き合うか」は欠かせないテーマといえよう。

科学史・科学哲学の第一人者で、東京大学・国際基督教大学名誉教授の村上陽一郎氏へのインタビューです

事実を冷静に見つめる姿勢と常識で科学の発展と向き合う

東京大学名誉教授 村上陽一郎さん

ワクチン開発は画期的な成果 

――コロナ危機となって約2年。科学を取り巻く現状や課題に対して、どのように感じておられますか。
 
 今回のコロナ禍において、科学の持つ可能性が鮮やかに表れたと思います。
 ワクチン開発について言えば、非常に短期間で有効なものが複数実用化され、感染抑制に一定の効果を上げました。21世紀に入って流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)も、新型コロナウイルスと同じ「コロナウイルス科」に属しますが、この二つに関しては、ワクチンが開発されないまま収束しました。そう考えると、今回のワクチンは画期的な成果だと言えます。
 この背景には、流行初期の段階で、中国の科学者らによって、新型コロナウイルスの遺伝子情報がインターネット上に公開されたことが挙げられます。これにより、各地の研究所が早い段階で開発に着手でき、短期間での実用化に至りました。感染拡大を防ぐために、世界中の科学者が手を取り合えたことは、大きな希望と言えるのではないでしょうか。

急速な融解が

――ウイルスに関連して、「永久凍土などに閉じ込められていたウイルスが、地球温暖化などの影響で融解することで、大気中に漏れ出す」といった言説も話題を呼びました。
 
 そうですね。ここ数年で、地球温暖化についても次々と新たな事実が発見されています。
 例えば南極の氷ですが、温暖化で極圏の気温が上がれば、降雪量が増え、氷が増えるのが道理ですが、最近の研究では、氷の総量が急速に失われつつある実態が明らかになっています。北海道大学の杉山慎教授の『南極の氷に何が起きているか』(中公新書)によれば、年間約100ギガトンもの氷(海水面が0・3ミリ上昇)が失われ、その速度は近年加速している可能性が高いようです。(※)
 もちろん、現代の科学では、地球温暖化という現象について全体像を把握するには限界がありますし、まだ分からないことも多く存在します。しかし、全てが解明されていないから何もしないというのではなく、分かったことを踏まえつつ、温暖化を防ぐために、今からできること、今できる対策を取っていくことが大切だと思います。
 

 ――ワクチン接種についても同様のことが言えるのではないでしょうか。時間を置けば、感染メカニズムがより詳細に分かり、精度の高いワクチンが完成するかもしれませんが、早い段階でワクチン接種に踏み切ったからこそ、感染抑制につながった面もあります。
 
 そうだと思います。私がコロナ対策において感じたのも、他国の発表や政策を横目にしつつも、これが最善という「ベスト」ではなく、むしろ「ベター」な解決策を選択する柔軟性が肝要だということでした。
 そもそも、現代の科学では、新型コロナウイルスの感染メカニズムなどについて、全てが分かっているわけではありません。そうした中にあって、待てば待つほどベストな対策も出てくるでしょうし、さらに時間がたてば、もっと良い対策が生まれるでしょう。しかし、そうしたベストを待ち続けていれば、いつまでたっても何もできません。

 (※)数年前までは、地球温暖化が進んでも南極の氷は減らないという学説が一般的であった。温暖化によって海水温が上昇し、大気中の水蒸気量は増えるものの、その水蒸気は南極大陸に流れていく中で冷やされ、雪となって降り積もると考えられていたからである。しかし、最近の調査では、海水温の上昇によって海水と接する部分の氷の融解が急速に進んでおり、それは降雪によって増加する氷の量よりも多いことが明らかになった。

感染症を取り巻く現状は日々変化。常に“ベター”な選択を!

一方で、これがベストだと思い込んでしまうことも、別の新たな方法が見つかった際に受け入れられず、結果として事態を悪化させてしまう可能性もあります。
 大事なことは、今、分かっている事実から、ベターな解決策を地道に実践する姿勢です。
 その意味で、作家で精神科医の帚木蓬生(
ははきぎ ほうせい)氏が提唱する「ネガティブ・ケイパビリティ」(答えのない事態に対して耐える能力)は、コロナ禍にあって重要な概念であると考えています。
 これまでの社会では、ある問題に直面した際、原因を手際よく調べ、即座に解決策を提示して実行する「ポジティブ・ケイパビリティ」が奨励されてきました。もちろん、時間をかけずに課題解決に臨む姿勢は欠かせません。その上で、私が危機感を抱くのは、社会全体がポジティブ・ケイパビリティ“一本槍”で進んでしまってきた点です。
 しかし、現代社会には感染症に限らず、地球温暖化やエネルギー問題など、単純に答えの出ない問題も多く存在しますし、そうした中にあって、ベストだけを求めていては、いつまでも問題解決には進みません。たとえベストでなかったとしても、ベターと思う解決策があれば、それを実行していく。よりベターが見つかれば直ちに切り替える。そうした柔軟な姿勢は、これからの時代を生きる上で希求されるものでしょう。

未知の事態にはデマがはびこる

 ――単純に答えの出ない問題と向き合うには、忍耐が必要です。そこへのいら立ちからでしょうか。今回のコロナ禍においても、SNSには「これが答えだ」と言わんばかりのデマが横行しました。
 
 私にも記憶があります。
 例えばSNSで一時期、「新型コロナウイルスは耐熱性がないから、26~27度のお湯を飲めば死ぬ」という言説が拡散しました。しかし、人間の体温は36度前後なので、ウイルスが体内に入った段階で死滅することになり、この理屈は破綻します。
 また「コロナは単なる風邪だ」と真面目に主張する国の指導者もいましたが、現在、“単なる風邪”によって世界で500万人以上もの命が失われています。その指導者は、現状をどう釈明するのでしょうか。
 ましてや感染症のような未知の事態にあっては、人々に不安が広がり、デマがはびこりやすい。そうした情報に翻弄されず、賢明な判断をするためには、専門家の提示する「科学的合理性」とともに、個々人の健全な「常識」が肝要になってきます。
 今回も感染抑止のため、手洗いの徹底や3密(密閉・密集・密接)の回避といった「新しい生活様式」が提唱されましたが、こうした事項のいくつかは、もともと蓄積されてきた科学的常識を強調しただけであって、決して新しいものではありません。
 これは私の父親が医者だったこともありますが、私も子どもの頃から、お金や電車のつり革など、他人が触れるものを自分が触れた際には、帰宅後に必ず手洗いをするよう、父から言われてきました。それが当時の一般常識でしたし、感染症等から自分の身を守る知恵が、社会の中にも根付いていたと思います。
 ところが、現代社会は医療技術も発展し、衛生観念がなおざりにされるほど、私たちはそうした技術を信じ、頼り切ってしまった。いわば技術ばかりを取り入れ、科学的な姿勢を重んじてこなかったということです。そうした中で常識の重要性が片隅に追いやられ、一人一人の判断力・警戒心も低減してしまったのではないかと考えています。

「科学信仰」は持つべきでない

 ――科学への盲信は危険ですね。
 
 科学は常にベストを提供してくれると思う人もいるかもしれません。しかし、科学にも限界はあります。もちろん、科学の発達とともに、その可能性は大きく広がっていますが、私は何もかもが科学で解決できるという「科学信仰」は持つべきではないと考えます。むしろ科学が進歩すればするほど、使用者である一人一人の科学的な姿勢や常識といったものが求められていくと思っています。
 ワクチン接種も、その一例でしょう。
 ワクチンの名称の由来は、雌牛を意味するラテン語の「Vacca」です。天然痘が猛威を振るっていた18世紀、イギリスの医師であるジェンナーが「牛痘」を用いて予防接種を始めたことから、この名が付けられました。健康な人間に、あえて病原体を接種して免疫力を獲得させるのが、ワクチンの基本的な仕組みです。そのため、人によっては副反応が出てしまうのは避けられません。
 もちろん、技術も進歩しており、その副反応のリスクも低くなってきましたが、ゼロリスクにはなりません。その上で、今回のワクチン接種は、個々人の命を守る上で、相当の効果があったことは否定できない事実です。そうしたワクチンのデメリットとメリットを理解した上で、どう選択するかは、そうした事実を冷静に見つめる科学的な姿勢や、個人の判断、常識に委ねられているわけです。こうした姿勢や常識といったものを、いかに醸成していけるかが、科学と向き合う上での切実な課題であると思っています。


 ――科学的な姿勢を育む上で、どのようなことが必要と考えておられますか。
 
 先ほどSNSの話題になりましたが、デマやフェイクニュースが拡散された一方、有益な情報が広まったのも事実ですから、SNSそのものが一概に悪いとは思いません。むしろ社会に普及されたこの技術を通し、科学的な根拠に基づく議論が深まっていく可能性を模索していく方が価値的ではないでしょうか。一つの方向性として、インフルエンサーと呼ばれる拡散力のあるユーザーが、どのような発信をするかが問われてくると思います。
 教育の観点でいえば、現行制度では、高校2年になると文系・理系にカリキュラムが分かれます。その段階から、文系を選択した学生は理系科目を、理系を選択した学生は文系科目を学ばないまま社会人になる場合が少なくありません。そうした制度にあっては、横断的な知識を体得することはなかなか難しいと考えています。
 「アクロス・ザ・カリキュラム」という言葉がありますが、例えば英語の授業で理科教育を行うなど、教科の枠にとどまらない授業設計も必要でしょう。
 現在は、大学での教養教育ばかりでなく、大学院でも教養教育を導入する「後期教養教育」が広がりつつあります。専門家だからこそ、広い視野に立つ教養を培う方向が模索されているわけです。今後、日本の教育制度全体が、こうした方向にシフトしていくことを期待しています。

 

地域の人と意見交わす場が大切

 ――科学的姿勢を育むために、個人レベルで、できることはあるのでしょうか。
 
 一人一人が科学の基礎を学ぶことはもちろんのこととした上で、ここでは、その一つのヒントとして、ヨーロッパ諸国で導入された「コンセンサス会議」を紹介します。それは社会的に影響のある議題が現出した時に、専門家だけでなく、非専門家も交えて行われる会議のことです。
 かつて、日本でも北海道が遺伝子組み換え作物(GMO)の研究を推進することに対し、訴訟になるほどの意見対立がありました。そこで北海道大学が主導してコンセンサス会議が設置され、さまざまな年齢・立場の人が参画し、時間をかけて討論を行いました。また、この経過を地域住民も確認できるよう、一般にも公開されました。度重なる議論の末、GMOの栽培ルール等を定めた条例が成立し、厳しい条件付きではありますが、GMOを栽培できる圃場が確保できるようになりました。
 個人レベルにおいて、専門家が入っての議論の場をつくることは難しいかもしれませんが、地域の人々と議論の場をつくったり、意見を交わしたりすることはできるのではないでしょうか。そうした議論は、科学的な姿勢や常識を育んでいく上で大切だと思います。

 
 ――創価学会ではコロナ禍以降、感染対策に関して、青年部と医学者との会議を定期的に開催してきました。そして、そこで語り合われた内容は聖教新聞でも紹介し、それを多くのメンバーが学び、地域の友とも共有してきました。
 
 「コンセンサス会議」のポイントは、専門家と非専門家とが、それぞれの立場から一つの問題に協力して立ち向かうための基礎を確保することでした。こうした場の存在は、個々人の健全な常識を育む上でも非常に有効だと思います。
 今後も簡単に答えの出ない問題は続いていきます。そうした中にあって、そのようなつながりがあるということ自体が一つの強みですし、そのつながりの価値は、ますます求められていくのではないでしょうか。

 

 

 むらかみ・よういちろう 1936年東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。東京大学先端科学技術研究センター、国際基督教大学、東京理科大学大学院教授、東洋英和女学院大学学長などを歴任。専門は科学史、科学哲学。著書に『ペスト大流行』『文明のなかの科学』『科学史・科学哲学入門』『ウイルスとは何か』(共著)など。

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