牧口常三郎先生 生誕150周年記念インタビュー㊦ 徹底責任個別指導の進学教室✎ 未来義塾✎✎

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2021/09/26

牧口常三郎先生 生誕150周年記念インタビュー㊦ 
東京学芸大学名誉教授 斎藤 毅 先生

〈牧口先生 (せい)(たん)150周年記念インタビュー〉

 東京学芸大学名誉教授 斎藤(たけし)氏に聞く㊦ 

「人生地理学」からの出発

牧口常三郎先生の(せい)(たん)150周年の記念出版『「人生地理学」からの出発』(鳳書院)は、牧口先生の地理教育者としての先見に光を当てた書。

(ちょ)(しゃ)である東京学芸大学名誉教授の斎藤(たけし)氏は、地理学の目的は「世界像」の形成にあり、「人類という()(へん)(せい)に立ち、自分も他者も共に(はん)(えい)しゆく」世界像こそ牧口先生の(どく)(そう)(せい)であり、それはまさに日蓮仏法の思想に通じると()(てき)する

インタビュー㊤に続き、㊦を(けい)(さい)する。

斎藤 毅 氏

 ――牧口先生はその人生の大半を地理教育者として()ごされました。やがて日蓮仏法を(じっ)(せん)し、創価教育学会を(そう)(りつ)されます。子どもたちに向き合い、地理学の研究に(いそ)しむ中で、学校教育にとどまらない人間(ぜん)(ぱん)の生活(かい)(かく)に行き着くわけですが、そこには何か必然性があるのでしょうか。
 

私は、日蓮を()(だい)な哲学者であり、思想家であると考えています。

日蓮の思想の(こん)(てい)にあるのは、「現世の(こう)(てい)」を(ぜん)(てい)とした「()()の主体性の確立」です。

内村(かん)(ぞう)は『代表的日本人』で5人の日本人を(しょう)(かい)していますが、そこに日蓮が入っているのは当然のことでしょう。

中世の鎌倉では、(ほう)(ねん)(とな)えた専修念仏が流行し、日蓮は「(りっ)(しょう)(あん)(こく)(ろん)」で、正しい教えをないがしろにし、()()る念仏こそ、(しょ)(さい)()を引き起こす(げん)(きょう)になっていると強く(うった)えました。

法然も一面では現世を肯定していますが、日蓮のような主体性はなく、適用の仕方が(ちが)います。

日蓮は現世に真正面から向き合っています。

「現世」とは「自身の人生の()(たい)」であり、「この地球上に(てん)(かい)している現代の世界」とも(とら)えられます。


自己の肯定感を確立した上で、現代の世界を「(かん)(しょう)」していく。()()えれば、自己の肯定感が確立できているからこそ、現代世界を正しく捉え直せる――とも言えるでしょうか。

日蓮が他国からの(しゅう)(らい)があると確信していたのも、そうしたことに由来する(どう)(さつ)の一つであったのかもしれません。

「現世の肯定」と「世界を知る」ことは、分かち(がた)く結びついているのです。 

私は「()()」や「(そう)(ぞう)(てき)()()主義」などに日蓮の思想の特色があると考えていますが、これらの(がい)(ねん)は、自己の主体性の確立によって初めて、本当の意味で(はっ)()されていくのだと思います。

人類という()(へん)(せい)から自分も他者も共に(はん)(えい)しゆく道を訴えた牧口先生の世界像は、現世を肯定しながら他者との(きずな)を結びゆく日蓮の思想――日蓮の世界像と言ってもいいですが――と(ひび)()うものがあったのでしょう。

だからこそ牧口先生は、その(ばん)(ねん)におのずと日蓮の思想に行き着いたのではないでしょうか。

ゴーギャン晩年の傑作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(アフロ)

 

自身のルーツは人類共通の問い

 ――斎藤先生は、地理学は「自分はどこにいるのか」「自分はどこへ行くのか」という根本的な問いに答える学問でもあると述べておられます。

 

「自分自身のルーツが何か」ということは、人類共通の問いです。世界各地に伝わる神話の一つ一つも、「自分は何か」「どこにいるのか」「どこへ行くのか」を指し示すものと言っていいかもしれません。

日本最古の『古事記』には「(くに)()み」の物語が(しる)されていますが、自分のルーツを求めることは人間の本能ではないでしょうか。

画家ゴーギャンの()(さく)のテーマは、最初の問いが「(われ)(われ)はどこから来たのか」でした。

古代から現代に(いた)るまで(いっ)(かん)して(いだ)かれてきた()(もん)であり、人類は何とかして答えを見いだそうとしてきたのです。

人類が古代から生み出してきた神話や物語は、ギリシャ時代からは哲学となっていきます。そう考えると、どの学問も、どこかで自分のルーツを(もと)めているように思えます。

哲学はもちろんですが、歴史学、生物学、心理学は「自分は何か」に答えようとするものですし、天文学や地理学は「どこにいるのか」に答えるものです。

「どこへ行くのか」に答えを与えてきたのが神話であり、宗教でした。

例えば、母親を()くした子どもから「お母さんはどこにいるの?」と聞かれた時、「天国」と答える。これが正しいかどうかはともかく、こう答えることによって死後の世界のイメージがつきやすく、安心感を覚える人もいますよね。 

現代においても、科学だけでは説明しきれない、解決し得ないことがたくさんあります。むしろ、科学で判明したことは、ごく一部にすぎません。(けつ)(らく)した未解決な部分、科学的世界観だけでは満ち足りない“空白”が多くあるわけです。

何か答えを見いださないと不安で不安で仕方がない。だから、宗教などの世界観を借りてきて、必要に応じて主観的に(ゆう)(ごう)する。こうした複合的な世界観が、人間の(いっ)(ぱん)(てき)な感覚なのだと思います。

 

――日蓮仏法では自分のルーツを「()()()(さつ)」と呼び、(ばん)(にん)の可能性を信じ、自他共の幸福に()くす生き方の自覚を(うなが)します。牧口先生が(しん)(こう)で見いだしたものの一つは、そうした自分のルーツや人生の目的などに答え得る、日蓮の哲学であったのかもしれません。

 

牧口先生と日蓮の世界像が響き合った、ということでしょう。

日本では学校教育に哲学を取り入れることが(けい)(えん)されがちですが、学校教育の場でこそ、こうした哲学を学んでいくべきです。宗教も(こう)()の哲学です。

日蓮をはじめとする鎌倉仏教の()()を、宗教者ではなく哲学者として深めていってもいいのではないでしょうか。

災害が続いた、あの()()の時代にあって、どう()()えていくかを、仏典を研さんし、考え抜いた英知の(けっ)(しょう)なのですから。

牧口先生は、長年にわたって教育現場で子どもたちと(あい)(たい)してきたように、日蓮の仏法に対しても、あくまで(じっ)(せん)を深める中で()(さく)(かさ)ね、独自の創価教育論に(とう)(たつ)されたのでしょう。

その根本理念にあるのは、自他共に幸せになるための価値を(そう)(ぞう)し、その価値を広げゆくために行動する人格を育てる教育――私はそう理解しています。
   

――斎藤先生の著書には“()えず(こう)(しん)していく豊かな世界像は、安定した人生観の形成にも通じる”と記されています。
 

より良い自分を発見し、(みちび)き出していくためには、世界像の絶えざる更新が不可欠です。それには他者との対話、(こと)なる世界との交流という(いとな)みが()かせません。()(かえ)しになりますが、世界像とは世界をどう見るかということであり、それは人間をどう見るかということに通じます。

直接、向き合って話すのもいいですし、本を読むなど、さまざまなツールから得られるものもあるでしょう。対話自体が世界像の形成といえますが、ここで情報を整理するために必要なのが「自前の知識」です。

それは文学や絵画、音楽、スポーツ、あるいは雑学かもしれないし、時には地名かもしれません。会話の際なども、相手が自分の出身地や(きょう)()などについて知ってくれていると、うれしいものです。

「自前の知識」は親交のきっかけにもなり、対話を(はっ)(てん)させる(じゅん)(かつ)()ともなります。

地理で学ぶ地名も(いち)()()けの暗記では、テストが終わってしまえば、(あわ)(ゆき)のように消えてしまいます。

しかし、例えば大好きな歌手がいる国や都市の名前などは、その人の笑顔とともに、その人が住む場所の(あざ)やかなイメージが()かぶことでしょう。

『人生地理学』の(ぼう)(とう)(むす)びには、吉田(しょう)(いん)の有名な言葉である「地を(はな)れて人なし。人を(はな)れて事なし。人事を(ろん)ぜんとせば、まず地理を(きわ)めよ」が引用されています。この名言の通り、地理を究めることで自己を知り、豊かな世界像を築くことは、私たちがこの()(さい)な世界を(そう)(めい)に生きていくために不可欠なことなのです。

 

(こう)()(しん)(おう)(せい)に価値の(そう)(ぞう)

 ――自己を知り、豊かな世界像を築くために、「(そう)()理解の対話」を強調されています。
 

私たちは科学的世界観を共有しつつも、その世界観には宗教や文化等による(かたよ)りがあります。

例えば、日本人はイスラム教徒と(ちが)って、メッカに対して、あまり関心がありません。ですがロンドンやニューヨークについては、かなり関心があります。その逆も考えられます。各々、違うわけですよね。 

この地球上に、あるいは同じ空間に、(こと)なる世界像を持つ人々が(きょう)(そん)しているのが現代です。その中で、(たが)いの世界像を知ろうとし、つながりを求めていかなければ、地球という()(たい)で起こる諸問題は()()えることができません。

米国の文化人類学者であるクライド・クラックホーンに、『人間のための鏡』という著作がありますが、そこでは、異文化こそが自分の持つ文化を(うつ)し出す「鏡」であることを()(てき)しています。

「人のふり見てわがふり直せ」とのことわざもありますが、自分一人では自分の持つ文化は分かりません。他人との比較で自分の姿(すがた)が見えてくる。むしろ人を見ることによって、初めて自己が確立できるわけですよね。


私は「(こう)()(しん)」こそが人間の最も基本的な感情だと思います。相手を知ろうとする好奇心がないと、関心も()かないし、()(もん)も出てきません。

先ほどの「自分のルーツ」もそうですが、豊かな世界像を築くには、知的好奇心を持ち続けることが大事です。

牧口先生は、多年の地理教育の現場にあって、あらゆる工夫を(ほどこ)されながら、世界の国々や地域について具体的に見つめていこうとされました。そうすることで、学んだ()(おく)がより(せん)(めい)に残ります。

『人生地理学』の各章も、人間への好奇心に満ちた記述ともいえるでしょう。


どんな(じょう)(きょう)にあっても、(おう)(せい)な好奇心を持ち、自らつながりをつくっていく。主体的に何かをつかみ取っていく。「創価」とは、まさにそういう意味ではないでしょうか。価値を創造することは、知的好奇心の(はつ)()ともいえます。 

地理学は、世界中の人たちが共有する科学的世界観の()()となるものです。しかし、第2次世界大戦後、日本の小・中学校ではGHQ(連合国軍総司令部)の命令を(ぼく)(しゅ)し、地理学を社会科の中に(まい)(ぼつ)させてしまいました。今なお不完全なままなのは大変残念です。
 

地理学は本来、学校教育での基本的な考えの上に立って、自分の人生を通して深め続けていくものです。牧口先生の豊かな世界像である『人生地理学』のメッセージを(むね)(いだ)きながら、私たちも「自分自身の『人生地理学』」を(えが)いていきたいものです。

 

さいとう・たけし 1934年、東京生まれ。理学博士。東京学芸大学名誉教授。専攻は地理学、地理教育論。日本地理教育学会元会長、日本地理学会名誉会員。

著書に『漁業地理学の新展開』『発生的地理教育論――ピアジェ理論の地理教育論的展開』など多数

 

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