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2021/08/24

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2021/08/24

〈危機の時代を生きる〉 
  万人の幸福のための経済



神戸学院大学教授 中村亨さん
 コロナ禍は、経済に大きな影響を及ぼした。
 成長一辺倒の価値観が、行き詰まりを見せていた時代にあって、この災禍を機に経済の在り方が問われるのは“必然”であったとも言える。

 「危機の時代を生きる」の第14回のテーマは、「万人の幸福のための経済」。 
計量経済学、国際金融論などが専門の、神戸学院大学教授・中村亨さんの寄稿を紹介する。

 新型コロナが(けい)(ざい)(あた)える(えい)(きょう)は、「100年に一度」の経済()()()ばれた、2008年のリーマン・ショックを上回るといわれています。こうして()(かく)される二つの危機ですが、(とく)(ちょう)は大きく(こと)なります。
 リーマン・ショックによる世界的な(きん)(ゆう)危機は、まず()(ほう)()な経営をした銀行が危機発生源となり、そこから実体経済に長期にわたる(しん)(こく)な影響を(およ)ぼしました。

一方で、コロナ()による経済危機は、(かん)(せん)拡大で(だい)()(げき)を受けた業界から、経済全体へと広がっていきました。
一家の生計から地域の商店、はたまた国家予算や貿易まで、経済活動は(こう)(はん)()に及びますが、身近かつ“目に見える形”で私たちの生活に(かげ)を落としているのが、コロナ禍の経済危機であると言えます。

 「経済」の本義は「(けい)(せい)(さい)(みん)(世を(おさ)(たみ)を救う)」。英語の「エコノミー」は、ギリシャ語で「家」を意味した「オイコス」などに()(らい)します。人々が、より良い生活を送ることを可能にする経済――その在り方について考察したいと思います。

コロナ禍でのセーフティーネット

 コロナ禍で特に大きな打撃を受けているのが、飲食業など対面での接客が多いサービス業の(じゅう)(ぎょう)(いん)、非正規労働者、そして女性です。
 コロナ危機のような予期せぬ事態に(おちい)り、個人の(ちから)で生活を送るのが(こん)(なん)になった場合、社会的なセーフティーネットが機能します。こぼれ落ちそうになった人を救う、ネット((あみ))のような公的な仕組みのことです。
 このセーフティーネットは「()(よう)保険」「求職者()(えん)制度」「公的()(じょ)」の3(そう)モデルと、コロナ禍で新たに導入された雇用()()(さく)で考えられています。ここでは、雇用された状態からこぼれ落ちた(=職を(うしな)った)としても、第1層の「雇用保険」(失業給付)によって支えられます。
 しかし、増加し続けている非正規労働者の多くは、雇用保険に加入していないのが実情です。また、二つ目の「求職者支援制度」のセーフティーネットからも(はい)(じょ)される人が多く、(ぜい)(じゃく)な制度なのです。さらに、生活保護制度をはじめとする、第3層の「公的扶助」のネットもまた、行政手続きの(はん)(ざつ)さなどのために、コロナ禍で十分に機能していない実態も()()りになりました。
 このように、危機においては、生活()(ばん)の弱い人たちがとりわけ大きな影響を受けます。

 その中で、昨年(じっ)()された、1人当たり(いち)(りつ)10万円の「特別定額給付金」は、(こん)(きゅう)世帯の家計への効果が大きかったとの研究成果を、早稲田大学のチームが発表しました。月々の()(きん)()りが(ひっ)(ぱく)している家庭は、そうでない家庭に比べて、()()まれた給付金をすばやく引き出し、大部分を日常生活に関わる消費に()てた可能性が高いことが分かったのです。
 当初、コロナ禍で(げん)(しゅう)のあった世帯を中心に、30万円の支給が(けん)(とう)されていましたが、公明党の強い主張によって、給付の(じん)(そく)(せい)(さい)(ゆう)(せん)した「1人当たり10万円」が実現したのです。選別するのに(ぼう)(だい)な時間と行政コストのかかる「1世帯当たり30万円」よりも大きな予算をつぎ込んだわけですが、それによってかなった迅速性による利得は、コストを大きく上回ったと私は評価しています。
 なにより、セーフティーネットからこぼれ落ちてしまう非正規労働者を支えたことの重要性は、強調してもしすぎることはありません。

 

貧困国の()(えん)は全世界の(はん)(えい)

 (いち)(りつ)給付という社会全体への(はたら)()けは、とりわけ(こん)(きゅう)家庭の人々に(おん)(けい)(あた)えたことが分かりました。
では、弱い立場に置かれた人々を支えることが、社会全体を利するということもまた、言えるのでしょうか。
 これを考える上でヒントになるのは、限られた()(げん)を活用して最大の価値を生む「効率性」と、平等性を求める「公平性」という、(けい)(ざい)(がく)の教科書でおなじみの主要命題です。経済学では長い間、この二つはトレードオフ(()(りつ)(はい)(はん))の関係であると考えられてきました。どちらか一方を追求するとき、他方は()(せい)にならざるを得ないという考え方です。
 たとえば、困窮する人々への()(えん)は、公平性を(じゅう)()した()(さく)に当たります。すると、効率性は(そこ)なわれてしまう――(じゅう)(らい)の経済学では、そう考えます。しかし近年、そうした(たん)(じゅん)なトレードオフを新たな()(てん)(とら)え直すことが、主流になっているのです。

 

一例として、ノーベル経済学賞受賞者のエステル・デュフロ氏(米マサチューセッツ工科大学教授)は、教育と健康の増進は、「それ自体に価値があると同時に経済成長の要因でもある」と述べています(峯陽一、コザ・アリーン訳『貧困と闘う知』みすず書房)。(はっ)(てん)()(じょう)(こく)での調査などを()まえて、十分な教育や()(りょう)を受けられない貧しい人々への開発支援が、国や地域の全体の発展にもたらす(えい)(きょう)を示したのです。
 

教育と健康を()(もど)した人々が、(かつ)(やく)()(たい)を広げていけば、これまで生かされることのなかった発想が(はっ)()され、新しい(そう)(ぞう)(げん)(せん)となります。それは社会の安定と(はん)(えい)につながり、内戦や政治の()(はい)、さらにはテロリストの(おん)(しょう)()を防ぐことにもなります。そうしたことの恩恵は、一国や周辺地域にとどまらず、グローバルに広がることは言うまでもありません。

 

「人間」に()(てん)を置く(はっ)(てん)

 デュフロ氏は、教育や保健医療サービスを確保するためには、社会が積極的に(しょう)(れい)(かい)(にゅう)すべきであるとしています。さらに、支援の仕組みを作って良しとするのではなく、支援をする人・される人がモチベーションを高めていける(しゅ)(だん)を見いだすことも、大事であると言います。

 人が何を考え、どう行動するか。効率性のみを求めるのであれば、そこに感情やモチベーションが入る(すき)()はありません。しかし今、際限なく利益を追求する新自由主義が行き()まる中で、経済開発の在り方は、「人間」に視点を置いたものへと(へん)(ぼう)しつつあります。

 最新の労働経済学は、労働力を「(ざい)」と同じではなく「人間」と見ることで、(かく)(しん)(てき)な知見を得ています。つまり、“(じゅ)(よう)(きょう)(きゅう)(ちん)(ぎん)が決まる”という単純な考えではなくなってきているのです。
 以前、アメリカの小売り大手の2社を()(かく)(ぶん)(せき)した(ろん)(こう)が話題になりました。一方は、長時間労働、コスト(じゅう)()の低賃金型。もう一方は短時間労働、高賃金型。()(ぎょう)の業績に関して、教科書的には前者に軍配が上がりそうですが、結果は後者でした。
 後者の(じゅう)(ぎょう)(いん)は、“会社のために何ができるか”を常に考えて行動していたといいます。そこで発揮された生産性の高さが、賃金コストをはるかにカバーしたと報告されていたのです。

 利益ばかりを求めるのではなく、従業員の(じゅう)(じつ)と満足を高めることが、長期的には企業の発展につながる。社会全体に置き換えても、()()するものが多い話であると感じます。

 

()()りにしない

もとより経済学は、「幸福」「厚生」を追求する学問でもあります。

かつて、(てつ)(がく)(しゃ)のベンサムとミルは、「最大多数の最大幸福」という考えに(もと)づく功利主義を(とな)えました。しかし、この言葉は()(かい)を生みやすく、実際に、“少数者を()()てている”という()(はん)が数多くなされてきました。
ですが、彼らは、少数者を()()りにして最大幸福を目指すとまでは言っていないと私は考えます。むしろ、人間の(ゆい)(いつ)の目的とは幸福であり、個々人が幸福を追求する自由を得ることで、幸福の総和を最大化すべきであるというのが、彼らの主張の(かく)(しん)だと捉えています。
一方で、ベンサムとミルが、個人と個人の幸福はぶつかり合う可能性があることを見落としていたという()(ひょう)は、(まと)()ています。自身の幸福を追求する自由は、他人の幸福を(しん)(がい)しない限りにおいて(みと)められますが、現実には、個人同士が対立し、足を引っ張り合うことは多々ある。そこでは、「個人の幸福」の総和は、そのまま「社会全体の幸福」とはならないということです。
そこで必要となるのが、個人同士の幸福がぶつかり合わずに“調和”するよう、調停する仕組みです。ドイツの哲学者ヘーゲルは、近代国家こそ、その調停役であるべきだと言いました。そして、世界の「(きゅう)(きょく)目的」というのは、個々人の幸福の追求が、社会総体としての「(ぜん)」と一体になることであると述べています(竹田青嗣著『哲学は資本主義を変えられるか』角川ソフィア文庫を参照)。

 一人一人が、他人の幸福を犠牲にすることなく、自らの幸福を実現していける社会。
 (だれ)も置き去りにしない「全ての人の最大幸福」こそが、これからの時代の()(ちょう)になるのではないでしょうか。

危機の時代にこそ国と国、人と人とが協力し合うことが大切になる。途上国向けのワクチンを各国が共同調達する国際的な枠組み「COVAXファシリティー」には約190カ国・地域が参加し、グアテマラ(左)やエルサルバドル(右)などの国々にワクチンが分配されてきた(ともにEPA=時事)

 

私は、そうした社会の実現のためには、ヘーゲルが国家に期待した自由、幸福の“調停役”を、一人一人が(にな)(かく)()(じっ)(せん)が重要であると考えます。具体的には、(こと)なる価値観や生き方を持った人を、自分を大切に思うのと同じくらいに、(そん)(けい)し、(しん)(らい)することではないでしょうか。
また、“調停”というと第三者の目線に思えますが、これをさらに当事者の目線で言い換えるならば、「協力」になるのではないでしょうか。

異なる価値観や幸福観を持つ人と、いかに協力していけるのか。(かぎ)となるのが、自分も相手も“対等である”ということを認めることです。
当たり前のことのように思えますが、そう(かん)(たん)ではありません。実際に、たとえば国家や組織の間の取り決めでは、自分たちが有利な立場に立てるよう、進めようとするのが常です。協力よりも競争が、前提となっているのが現実なのです。
グローバル資本主義のもとで、世界は(すみ)(ずみ)まで“競争ゲーム”と化し、万全な(そう)()協力を約束する仕組みは、そう多くはありません。さまざまな人が()()を出し合い、共に考えていかなければならない時代なのです。

 

「自他共の(そん)(げん)」の精神が人々を(むす)

人々を結ぶ(ちから)となるのは、多くの人が賛同できるような()(へん)(てき)な理念です。私は、法華経に説かれる自他共の(そん)(げん)、平等の精神こそが、そうした普遍性を(そな)えていると考えます。
現代は、「私たち」という意識が細分化・()(はく)()し、自分以外の(そん)(ざい)を「()」と捉える(けい)(こう)が強い時代です。コロナ禍ではその(ふう)(ちょう)(はく)(しゃ)が掛かり、「異」なる人、組織、地域、国を差別し、()(ぼう)する事例が後を()ちません。
しかし、世界のどこかで感染者の動きがわずかでもある限り、感染(ばく)(はつ)の可能性は常にある以上、新型コロナは人類が一体となり、協力して立ち向かうべき相手です。他者を「異」と捉えている限りは、この(やく)(さい)が終息することはないでしょう。

 日蓮大聖人は「(いっ)(さい)(しゅ)(じょう)()()()くるは(ことごと)()れ日蓮一人の苦なるべし」(御書758ページ)、「一切衆生の(どう)(いつ)()は悉く(これ)日蓮一人の苦と申すべし」(同587ページ)と(おお)せになられています。
 大聖人は「異の苦」――衆生のさまざまな苦しみを“わが身”に受け止められ、さらに、「同一苦」――万人に共通する根本的な苦に向き合いながら、(みん)(しゅう)(きゅう)(さい)(とう)(そう)(つらぬ)かれました。他者を()()()(はな)すことなく、(そん)(ちょう)し、()(のう)()()われる大聖人の(だい)()(だい)()は、人と人、国と国とが協力し合う上での()(しん)(ばん)となる精神です。

 池田大作先生は、本年の「SGIの日」記念提言の中で、新型コロナのパンデミック(世界的大流行)に立ち向かう上での、グローバルな協力と連帯の重要性を(うった)えられました。
 また、(しゃく)(そん)(めぐ)(いつ)()を通して、自分を大切に思う自然な感情を他者へと向かわしめることによって、「自他共の尊厳が(かがや)く世界」が築かれていくこと。そして、創価の平和・文化・教育の運動こそ、「誰も排除されない社会」を実現する(ちょう)(せん)であることを教えてくださいました。
 コロナ禍で、互いの顔が見えにくいこの時代だからこそ、他者を思いやり、尊重する、仏法の精神をより(いっ)(そう)、深化させながら、「万人の幸福のための経済」を(たん)(きゅう)し続けてまいります。

神戸市西区にある神戸学院大学の有瀬キャンパス

〈プロフィル〉

 なかむら・とおる 1959年生まれ。

神戸大学大学院博士課程単位取得満期退学。

米ペンシルベニア大学、ハーバード大学、英グラスゴー大学の客員研究員等を歴任。

現在、神戸学院大学教授。

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